登山クラブへ

  

 三日月山(みかづき272)〜立花山(たちばな367.1)         <福岡・東区>

平成27年9月13日(日) 曇り・晴れ 交通:自家用車 3台

 
  (メンバー)信岡、浜地、藤井、澤田゜、林゜、藤岡゜、(小野、野田、石内゜、友清゜、榊゜)

 8:00 中央区天神・福岡市役所横に集合(参加人数が少ないので車3台で)出発。今回の山は“信岡さんちの庭”?であるホームグラウンドの表記の山を歩くことにした。


  九産大近くの下原のコンビニで信さんと合流、福岡市営の三日月霊園駐車場に車を置き、すぐ横の登山口から三日月山を目指す。昨日までの雨で登山道は湿り、所々ぬかるみや水溜り、流れもあって避けながらの歩行、木陰の道に早秋の風が涼しい。路傍にはヤマジノホトトギスの淡い可憐な花も歓迎してくれる。三日月山の山頂は草付きの台地が広がり博多湾・アイランドシティなどが一望に見渡せる。しばらく展望を楽しんで北の立花山へと転進。

  自然林の縦走路歩きは快適だが、右手の山腹に樹木伐採跡が見られ景観が痛ましい。やがて右手に三日月山と立花山の四季(花)を紹介した写真のパネル(表示板)があり、心なごむ。
右側に切れ落ちたぬかるみの狭い足幅の登路を慎重に歩き、上りに差しかかるとクスの大木が1本〜2本と現れ太い幹には、緑の苔がびっしりと付着して美しい。先に進み、ベンチと解説板の前に巨大なクスが聳えている。急で滑りそうな斜面を下ると、“森の王”とおぼしき風格のある立花山最大のクスの前に立つ(日本森の巨人100選(幹周758cm樹高30m 樹齢推定300歳以上)とのこと。

 折り返して右巻きに階段状の狭い登路を立花山へと歩を進める。大楠を見に下って来る多くの登山者と交互に離合しながら登り、間もなく山頂に着く。広い頂上には既に多くの人がシートを敷き賑やかに昼食・懇談中。天候もよく博多湾・アイランドシティ、海の中道などが眼下に広がる。

 昼食を終え、立花山メインルートを下り三日月霊園Pから、信さんの誘導でアイランドシティのTERIHA SPA RESORT BISAI KANBO(照葉スパリゾート美彩汗房)へ。1ヵ月半ほど前にオープンしたこの施設は、24 時間営業の宿泊可能な大型スパ(4階建)で、いろんな趣向のお湯が楽しめそう。博多駅から無料送迎バスも運行されている。


●立花山について
立花山は7つほどの峰からなる山群の総称で、最高峰は井楼山(せいろうやま)・本城の別名があり、北西に松尾山、白岳が並ぶ。古くは二神山と呼ばれイザナギ、イザナミを祀っていた。山腹にはクスの木が数千本、樹高30mを超えるのが600本、その規模は日本に他に例がないという。6合目以上のクスノキは立花山クスノキ原始林として1928年に国の天然記念物に、1956年に特別天然記念物に指定。森の巨人たち百選にも選ばれた。

 立花山城は鎌倉時代末1330年に豊後大友氏の大友(立花)貞載によって立花山城が築かれて以来、立花山は南北朝・戦国時代を通じ、交易拠点であった博多を見下ろす軍事的に重要な要塞であった。勇猛な武将として知られた戸次鑑連は1569年の多々良浜の戦いで毛利軍と戦った後、立花道雪として立花城城督となり、今は立花口の梅岳寺に眠る。道雪の家督を継いだ立花統虎(宗茂)は1586年に島津軍の大軍の侵攻に対し、立花山城に籠城し激戦の上これを撃退。1601年に福岡城築城に石垣が移築され廃城となり、石垣の一部・古井戸が残る。
                       私が立花山に最初に登ったのはS29年高校2年の遠足で、下駄を履いて登った記憶がある。

                                                                                                      (藤井哲夫 記 ・ 写真 浜地:(H) 榊:(S))

三日月山への縦走路を行く (H)

立花山山系の案内(H)


三日月山頂にてひと休み (H)

三日月山頂より立花山を望む (H)


三日月山から立花山へ転進 (H)

縦走路に大木が現れる (S)


古色蒼然・苔を付けた大クス (S)

大クスが並ぶ (S)



森の巨人100選、立花山の大クス(H)

立花山山頂まで300m (S)

立花山(立花城跡)にて昼食タイム (H)



立花山山頂にて記念写真に収まる(H)

アイランドシティ・博多湾を一望に(H)

ヤマジノホトトギス (S)

登山クラブへ