(メンバー)
松九会登山クラブ :藤井哲夫、宮脇彪、信岡雄蔵、原田和夫、小金丸和夫、大宅道雄、西田初夫
福岡まいづる山岳会 :井上孝、石内美佐子、友清節子、藤井和子、澤田律
(コースタイム)
■26日(日):大野城7:20=9:10長者原P9:16=9:45大曲・牧の戸間の脇道に駐車P…大曲登山口9:55…10:18火山(観測)小屋…10:55スガモリ越…11:35三俣山西峰11:56…12:17スガモリ越避難小屋(昼食)12:50…13:45法華院温泉山荘(宿泊)
■27日(月):起床5:40・朝食7:00〜・山荘7:42…8:10鉾立峠…9:37白口岳山頂…10:09稲星越…10:28稲星山山頂…10:52南登山口分岐…11:25久住山山頂11:40…11:58久住分かれ…12:00避難小屋前広場(昼食)12:30…12:48星生尾根(カメラタイム)…13:42星生山山頂…溶岩群…1499ピーク(岩塔)…15:18大曲(星生新道登山口)…15:25駐車場P=まきばの温泉館=
■26日:四季彩ロードを経て長者原でトイレタイム(大曲登山口にはトイレなし)後、牧の戸方面へ走るとやまなみハイウェイの旧料金所を過ぎた辺りから脇道には車の列!、もちろん大曲の駐車スペースは満車(日曜の朝、登山者の車で一杯は当然)。さらに上へ走り牧の戸寄りの左の道脇にスペースを見つけて3台駐車。登山準備を整え歩いて下ると、大曲の[登山口]の大きな標識に誘われ?入り込む。しばらく登っていくと何だか第1目的の星生尾根が右方向に遠ざかっていく感じがして、間違えた!と思う間もなく火山小屋(観測施設)に出て、スガモリ越への道に入っていたことに気がつく。引き返すか…?と考えたが既に23分のロス、戻って正規の登山口へは計50分近くのロスとなり本来の登山開始が11時前となる。
これでは予定のコース(後記)を踏破するには時間不足で日暮れとなり、白口岳の岩場の下りは困難・無謀で、遭難騒ぎを引き起こすことになる。しばらく躊躇(ためら)っていたがポツポツと雨が降りだした…。意を決して2日目の登山目的である三俣山を先に登ることに急きょ変更、スガモリ越へ向かい雨具を着け、三俣山への急な登路を右に巻ながら西峰に着く。三俣本峰方面からは大鍋・小鍋の紅葉観賞を終えた登山者の下りの列が続いているが、風も出てきて横からの雨が吹き付け、星生山も中岳も見る見るガスが湧き山頂を覆い出してきた。今まで見通しできていた三俣の峰々もガスに覆われ出し、奥に登るのを断念して下山。(視界がきかなくなるとリング・ワンデリング《輪形彷徨》に陥って、方向が判らなくなり脱出できず遭難へつながる)
満員のスガモリ小屋でボーイスカウト・ガールスカウト(小学生)の雨に濡れ、震えながらの食事を先にさせ順番待ちで昼食。韓国からの登山客も多く、小学生がチョッと腰を上げると(まだ席を離れるのではないのに)サッとザックを投げ入れ席を取る。
午後は雨も上がり北千里浜へ下りて早い時間に法華院温泉山荘に入宿。大船山の段原などの山腹に紅葉が美しく広がっているが、まだガスが山頂を覆い太陽の光がなくカメラも出番を残念がっていた。温泉にも早めに入れ部屋でくつろぐ。(夜は1階の廊下にストーブ3台ほどで暖房)
宿泊客は40〜50人くらい?か、中でも食堂で目を引いたのは頭を“きれいに丸めたお坊さん”8名(女性1)で、白衣を纏った若くて背丈のある(180〜190cm)のハンサム(今はイケメン)な2人であった。食後、山荘のオーナーの弘蔵岳久さんと近年の水害によるコースの状況、各ポイント(峠・山頂)などの所要時間についてアドバイスを頂き、予定の中岳・天狗ヶ城(殆どの人が登っているので)をカットして稲星山から直接久住山へのコースに変更することにした。
■27日:朝は曇ってはいるが予報は晴。朝食時に昨夜の“お坊さん”は峰入りの正装(山伏?)で着座、何やら食前の感謝?の唱えをして手を合わせ箸を手にする。私たちは日ごろの食事はあたりまえの生活の一部、いつの間にか感謝の心も失っている。昔?私が小学生の頃、お昼の弁当を開く前に先生の音頭で「箸とらば天地御代の御恵み 君と親との恩を忘るな(はしとらばあめつちみよのおんめぐみ かみとおやとのおんをわするな)」(明治天皇御製)〈記憶かどうか?〉を唱和し、両手を合わせ“いただきまーす”で箸をとったことを思い出した。
山荘前の広場に出て宮脇さんの入念なストレッチ指導を受け、予定の逆コースで山荘を後にし、すぐ[鉾立峠]の分岐に入り[白口岳・中岳]の標識を右に見て、九州自然歩道の整備された木道を登っていく。登路の脇には[くたみわかれ][くたみ岐れ](地元と環境庁の表記が異なる)の道標が、ほぼ近接した場所(無駄な!)に立てられている。しかも分岐がない一本道に数箇所あった。※[くたみ=朽網]。途中には一株のミヤマキリシマが多くの花を咲かせ“遅咲き?…早咲き?”との疑問も出る。やがて←立中山、大船山/白口岳→の標識が立つ鉾立峠に着いた。見上げると白口岳山頂は雲に覆われ、山肌には幾筋かのツメ跡(崩壊)が刻まれ険しさを伺わせる。
登る足もとには季節遅れのいくつかのリンドウ(竜胆)が3〜4輪の花をつけているが、寒いのかまだ咲ききれずに立っている。だんだんと険しくなってガレ場や、滑りやすいむき出しの土、岩場の続く急登となって、岩角やロープ(老朽化したものもあり十分な確認・注意が必要)に手足をしっかり掴ませて慎重に乗り越しながら進むが、上がって行くにつれ風が強く吹きつけていた。吹き飛ばされたり倒れないよう腰を低くして進む。お日様は雲の上、寒さも増しタオルで頬かぶりの人も…。涙とたらした鼻水を風に吹き飛ばされながら、なんとか白口岳の山頂に着いた。
山頂は横なぐりの強い風!…周囲の景色を見回す余裕もなく、岩陰に避け雨具を着て稲星山へ向かう。左右に遮るものがない広々とした山稜をいったん稲星越へ下り、周囲のコケモモ(苔桃)の密生地を見て、稲星山へと登り返すが、とにかくこの強風!風速は20〜30mくらいか?。一歩足をあげたら途端にヨロヨロっとするほどの風、前傾姿勢で風圧に耐え抵抗しながら歩く。そのため足先のみを見て歩き周囲の景色も目に入らない。やっとの思いでざらざらとして赤みを帯びた砂礫と褐色の溶岩が並ぶ荒涼とした山頂に着く。岩陰で一息入れて稲星山を後にして久住山へ。
砂礫の尾根を下って行くとだんだんと草つきの尾根となり、鞍部へ着くと左に久住町方面からの南登山口と、右に中岳方面への登路、直進は久住山への三方向の分岐となる。ここには出水があって「神明水(しんめいすい)」といわれる小滝の水場があるのだが、わからなかった。(冬場は涸れる)。風も少しおさまり南斜面をひと登りして、赤川からの登路と久住分かれからの道が合うと、ゴロ石の続く山稜を伝って間もなく久住山山頂に着く。今日は月曜日、混雑を避けて日程をずらしたので、途中の稲星山の山頂で1人の登山者しか会わなかったが、さすが久住山!…次々と列をなして登ってくる。山頂の記念撮影も順番待ち!…風も相変わらず強く、久住分かれへ下って鞍部の広場で昼食とする。星生崎下部からまだまだ登山者が続き、ジャージー姿の中学生のン百人?の一団が賑やかに登ってきた。
風もおさまり天候も回復、腰を上げてバイオトイレの小屋裏から、星生崎への急な登路へ取りつき尾根へ上がって振り返ると、盟主・久住山を右に、稲星山、天狗ヶ城、中岳、大船山、三俣山などが指呼の間に並ぶ。振り向くと肥前ヶ城、その先の扇ヶ鼻の斜面は紅葉が見事に映えている。パノラマ的にシャッターを切って、岩場の続く星生崎を越えて星生山へ、硫黄山は白い噴煙を盛んに上げている。
星生山からは下り気味に尾根を辿り、ササ原の右に細い踏み跡を見つけて入る。標識はないが、この路が星生新道だと判断。ミヤマキリシマも多く並んで、花の時期は見事だろう。ヒザ下くらいに伸びたササの波を踏み分けながら下ると、大きな溶岩の塊が並ぶ(形状がカッコ良い?)を見て、やや緩やかになった広い台地を下って行くと、ほつんと三角形の岩峰を突き出したピーク(1499mピーク)の横に着く。一休みしてさらに下るが、生い茂ったササで足もとが見えず、突き出て石や岩、木の根に躓いたり滑ったり…“足もと注意!…石注意”などと声をかけ合って、ストックで掻き分けながら進む。下るにつれ急勾配の道となり段差も大きく、ササも腰よりも高くなって歩きにくい。おまけに真っ黒いヨナ(火山灰)の土で滑りやすく“段差あり…スリップ注意!”でノリウツギの枝などを掴まえながら下り、灌木帯へ入ると真っ赤なもみじの葉がホッと和ませてくれて、間もなく大曲の登山口に出た。狭い登山口には標識はなく、左の繁った木の幹に薄青色のバンダナが1本、右の木に黄色の広幅テープが1本巻いてあるだけだった。
思い出してみると、昨日の朝、車をこの上部に停めて下ってきたとき、この場所には軽トラック(大分ナンバー)が停められ、運転席には作業着姿(登山スタイルではない?)のオッチャンが座っていた。勘ぐってみると、何だか登山口をふさいで“とおせんぼ”でもしていた?のか…。
まあ、それでもはじめてのコースも混じえてバラエティーに富んだ道程をよく歩いてきた。
当初計画コース
●26日:大曲登山口P…星生新道…1499ピーク…溶岩群…星生尾根…星生山…星生崎…久住分かれ…久住山…天狗ヶ城…中岳…稲星山…白口岳…稲星越…鉾立峠…法華院温泉山荘(泊)
●27日:山荘…北千里浜…三俣山・南峰…大鍋・小鍋…北峰…本峰…四峰…西峰…スガモリ越…火山小屋…大曲登山口P 【藤井哲夫 記】
【写真撮影:原田和夫】
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