2007年4月4日(水)

土器(かわらけやま 430m) 佐賀県神埼町   

 
『 4月3日急遽、明日、花見を兼ねて土器山へ登ろうということになった。佐賀県とはいえ近郊の山なので9時に福岡を出て10時に登山開始となった。登山口に下記の山の謂われがあった。

 土器山(かわらけ山)八天神社
土器山(八天山)は、標高429米、上宮まで14丁の登拝道の大部分は、風化し花崗岩の露頭を掘削したものでかなり厳しい。この山は、巨岩怪岩が多く上古より山岳信仰の霊山で、禁則地山であり、全体を御神体、上宮の巨石は磐境とし、附近一帯は聖なる禁足地であった。仏教公伝後神仏習合により、中宮菩提寺が創建され、更に平安末期丹波の国宕山より火伏の神である軻遇突智神を勧請、爾来、修験霊場として聞こえ、天狗の棲む山として畏敬された。

 戦国期には、菊地氏、江上氏、神代氏などの崇敬を集め、藩政時代は、宝光坊が一山を統べていたが、明治初頭の神仏分離、修験道廃止令に依り、神職に転向現在の八天神社となった。参詣者は県内はもちろん、県外にも多く、立願や祈祷のため、土器を上宮御神体岩の元に納める風習は有名である。又、当社も御神符は、篤風(おこり)に卓効あり、と伝えられている。

 下山後は仁比山公園で花見散策、更に足を伸ばして綾部のぼた餅屋さんへ寄る。鷹取山の登山口確認と花見、仕上げは温泉で、楽しい花見の一日になった。
                                                                       (記 澤田眞次)   』

(コースタイム)
 登山口P(八天神社境内)10:00…11:00八天神社中宮(善提寺)…11:10親不孝岩…11:20土器山山頂11:30…11:45四阿(あずまや)(昼食)12:10…13:00登山口P

『 「ドキ山はどちらですか?」と地元のおばさんに尋ねても「?…」であった。そのおばさんが「そこの駐車場はノリ工場のだから、停めちゃいかん」と言われて、道端のやや広いところに車を移動する。この山は“カワラケ山”別名八天山(はってんざん)とも言われ、山岳信仰の霊山で平安末期には修験霊場として、また願い事を託した土器(かわらけ)を山頂上宮の御神体岩(巨岩)の下に納める風習があり「土器山」と呼ばれるようになったそうだ。

 登山口の八天神社境内を抜け竹林の急坂を登り、風化してザラリとした花崗岩が続き、溝状にえぐられて隘路も多くなり少しずつ歩き辛くなった頃、今にも倒壊しそうな中宮・善提寺(廃寺)に着く。一息つき衣類調整。

 歩き出して間もなく“親不孝岩”の案内板があったので、その巨岩の上に立つと絶景!佐賀平野が見渡せる。ここから山頂に至るまでに幾つもの巨岩や、左右から岩肌が迫り手足を使っての登りとなる。山頂もまた岩の上で「八天山」と彫った標識があった。山頂の狭い岩の上から見下ろすと三瀬方向(高取山公園あたり)は今が見頃の桜が並んで見える。
 
 山頂直下の広場の奥には巨大な岩が横たわり、御神体のこの巨岩が3つの重なりで“チョックストーン”をなし、その下に小さな祠(八天神社上宮)が祀られていた。標高は430mと低山ではあるが歩き甲斐のあるいい山だった。麓の周辺には仁比山神社や公園、九年庵などもあり、帰りに立ち寄った綾部の町には甘党には見逃せない“綾部のほたもち”屋さんが3軒ほどある。鷹取山にも登りサクラを見てと思っていたが、雨模様の空となり登山口を確認して帰路につく
                                                             (記 中馬一枝)   』

 

(メンバー) 
    松九会登山クラブ  :藤井哲夫、澤田眞次・律夫妻、藤尾
                 
  福岡まいづる山岳会 :
中馬一枝、石内美佐子、児玉かめ子

                                            
                    

登山口近くの桜

登山口の八天神社

頂上まで14丁だが、登山口に初丁石がある

滑りやすい花崗岩の道を登る

登山道にヤブツバキ

花崗岩がU字に削られた後に丸太の階段が

親不孝岩--修験者の覗き岩

親不孝岩より佐賀平野を望む

親不孝岩にて

頂上にて

頂上直下のご神体の岩

ご神体の岩のいわれ

花よりだんご

仁比山公園の桜

仁比山公園の桜

綾部神社の鳥居とぼたもち屋

 

綾部神社 本殿です。なかなか風格がありました。

新しく出来た温泉(山茶花の湯)で---。                                    (写真:澤田眞次)