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土器山(カワラケヤマ・ドキヤマ・別名:八天山 ハッテンサン 429.9 m) 〈佐賀・神崎〉

実施日:2014年4月6日(日)  晴れ   貸切バス


  (メンバー) 浜地、庄嶋、信岡、澤田、澤田゜、風間、林゜、藤岡゜、藤井、
               (榊゜、宮内、左座゜、小野、藤T、藤J゜)

  天候が変化し前日は一日雨、バスの予約をキャンセルするか?迷ったが、夕方パソコンの天気予報を見ると、なんとか晴れそうで安堵。麓のホテル神崎温泉の駐車場にバスを停めさせてもらい、登山口の八天神社に参拝して竹林の急坂を登ると、ザラッとした花崗岩が溝状にえぐられた道となり、人がやっと一人歩けるだけの隘路もあり、昔から多くの人が歩いてこんな道となったのか?。標識の「展望所」に寄り佐賀平野を望み、やがて倒壊しそうな中宮の社・菩提寺(廃寺)の前に着く。

  一息ついて先へ進み「親不孝岩」の標識を見て “ここは下山時に寄ろう”と思い直進する。ところがこの道、今まで以上に狭くなり!、しかも左右が2m前後の高さに阻まれ、両肩も通れず横歩きも出来ず、リュックも引っ掛かり難儀するが、左上に細い木の根があったので摑まって身を引き上げ、何とかここを脱出する。*6年前に登った時は親不孝岩に先に行き、う回路を登ったので、この場所は通らなかった。

  さらに続く岩道を登り、立派な石の階段を登って上宮の広場に着く。右手に巨大な岩が2つあり、その上に岩が挟まれている(チョックストーン)。その岩の下に小さな鳥居と祠が設けられていて、参拝する。昔はこの巨大な岩の右手に、立派な瓦葺きの社殿があった
のだが今はなく、案内看板に写真で示されていた)。

《この山は古来より山岳信仰の霊山で、平安末期には修験霊場として、天狗が棲む山として崇められた。八天神社上宮に鎮座する巨岩は御神体のため、昔は付近一帯の立ち入りは禁止されていた。また、参詣者が立願・祈祷のため、土器を上宮の御神体岩に納める風習があり、これが「土器山」と書いて「かわらけやま」と呼ばれる由来となったと云われている。また、火の神を祀った八天神社があることから別名「八天山」ともいわれている。》

  山頂はもう少し先、山頂もまた岩の上で「八天山」と彫られた標識を囲み記念写真に収まり、広場へ下りて軽めの昼食。下山時に「親不孝岩」に立ち寄ったが、ここは昔の修験場でロープで身体をくくられ、頭からこの岩に身を投げ出して禅問答があり、手綱(ロープ)を急に緩められ、肝をつぶす思いをして修験するとか。この最たるところは奈良の大峰山(山上ヶ岳)の“西の覗き岩”だろう。(平成12年6月3日~5日、松下電器山岳会との合同登山会:稲村ヶ岳~山上ヶ岳(大峰山)~大台ヶ原で、参加39人中ただ1人、わが松九会登山クラブの重鎮:信さんが、数百mもの断崖に身を委ね、これを試した!ことは、いまだ鮮明に記憶に残っている。

  岩の上からは高速長崎道、城原川の流れ、来年4月に登る予定の“帯隈山・日の隈山”などを眺めて下山。仁比山公園の桜はもう終わっていたが、散った花びらを見ながら、ささやかな花見の宴を開き、ホテル神崎温泉に戻ってラドン湯に浸かった後、綾部のボタ餅を土産に帰る。   藤井哲夫 記


                                                           【写真撮影:澤田眞次】

駐車場で登山準備 ここが登山口です
安全祈願を 筍を気にしながら
よく整備された階段 太い方は通れません
切腹岩 やっと歩きやすい道へ
中宮・・今にも崩れそうです 中宮の横に湧水が有ります
カニ歩きでもムリ アスレチック? その1
アスレチック? その2 親不幸岩の謂れ
親不幸岩よりの展望 アスレチック? その3
どうして登るの? 土器山について
ご神体の岩 スミレが所々に
頂上にて
ここは四等三角点です ご神体の下で軽い食事を
下山です 親不幸岩で展望を楽しむ
急な下りです ここは快適に下ります
更に快適に 下りてきました
花筵で花見酒? 今日の温泉はこのホテルで
綾部神社に寄ってぼたもちを調達

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