恒例の登山と河豚料理の新年登山会 例年好評の下関“ふく料理で【福】の1年”をスタート!
およそ2時間20分の“らく楽”コース。下山後はバスで門司方面へ移動…・あとは現地に着いてからのお楽しみ?
帆柱山系の中では最も手ごろで身近な山として根強いファン層に支えられている山だ。山頂一帯には今から約800年前に築城された花尾城の史跡が残っている。本丸跡は格好の広場となり二の丸、三の丸跡、馬場跡、出丸、井戸などの遺構を見ることができる。山頂からの展望は、北側には八幡東区、西区の街並みが広がり、南側には帆柱山の照葉樹林が目前にせまる。花尾山経由で帆柱山のルートは「めぐみの森コース」として近年整備され、老樹古木森林を通過することで森林浴には最高。花尾城は1194年頃の築城で初代城主は麻生左衛門督朝長。出身は鎌倉幕府から派遣された御家人で「宇都宮」と姓を名乗っていたが、麻生庄の花尾山に築城したことから「麻生氏」に改名。足利尊氏の北朝に味方したり、南朝方に屈服したり、家督相続で内紛が起こったり、秀吉軍に降伏するなど戦乱の渦は絶えなかった。反秀吉の麻生氏は領地換えのうえで廃城となる。
帆柱山の名称は、神功皇后が軍船の帆柱をこの山から伐りだしたことに由来する。花尾城の南面防衛のため築かれた帆柱山城があったところであり、階段状に曲輪を配置した連郭式山城の形跡が残っている。竪掘、石塁、土塁などの遺構を探りながら曲輪跡をたどっていくと本丸跡の山頂に着く。建武元年(1334)、北条氏の一族・規矩掃部介高政が北条氏の再興を図りこの城で挙兵。城兵三千余名は大友、小弐氏の大軍に攻められあえなく落城。この後、豊臣秀吉の九州統一により廃城となる。現在は老齢古木の繁る森林地帯であり、尾根筋にはツバキの自然林が密生するなど魅力は豊富。林内の遊歩道は幅員も広く、よく整備されたコースである。山頂からの視界も良く、眼下の黒崎地区は目前に迫るほど近距離にある。(皿倉山ビジターセンターHPより引用)
<メンバー>
松 九 会
登山クラブ:藤井哲夫、澤田眞次、信岡雄蔵、宮脇彪、安永憲男、原田和夫、西田初夫、西儀務
加藤敏明、野田弘信、
福岡まいづる山岳会:井上孝・嘉代子夫妻、中村正義・千晶夫妻、中馬一枝・薫人、武藤篤野、石内美佐子
澤田律、児玉かめ子、友清節子、藤井和子、柴田明子
(後藤正人・久子夫妻、徳永紀代、林幸子、池田暁子、本間亜子)
恒例の新年登山は30名という近年にない多くの参加をいただき、北九州八幡の帆柱自然公園付近の山で実施。福岡からの貸切バスを河頭山公園の駐車場に停め、北九都市高速の下を通って車道を歩き、花尾西登山口バス停先から登山道へ入ると、民家の間にいきなり急な舗装道路が続き、スタート時点からキツイ。しばらく登って「1万歩コース標識」の西登山道へ足を入れると、緩やかな登路となるが草むらに雪が残っている。「花尾城跡」と刻まれた大きな石碑(タイムカプセル埋設)から左に進み登って行くと、明るく広い草原の花尾山山頂(花尾城趾)に着く。
天候も良く山頂からは八幡・黒崎の市街地、スペースワールド、関門橋など四囲の展望を楽しみ、今回特別参加の野田さん(歴史にくわしい、松九会・歩こう会代表)より、花尾城をはじめ戦国時代の周辺の山城についてレクチュアーを受ける。続いて花尾の鞍〜花尾の辻〜内藤陣山跡〜帆柱分かれ〜帆柱の辻へ出て12時丁度帆柱山頂着。すぐに携帯が鳴り、中馬さんのグループも河頭山山頂で「これから昼食」とのこと。
帆柱山山頂のベンチに御神酒(昨年末の忘年登山の帰りに立ち寄った、幸姫酒造さんから頂いた《有徳稲荷神社お祓いの御神酒》)と中馬さん差し入れの御神酒を並べ、コンブ、スルメ、イリコで新年の安全登山を願って乾杯!し昼食をとる。
下山はコースを変えてと思っていたが、雪が凍結して下りは滑る道となっているとのことで、往路を戻り、途中古井戸跡などを見て再び花尾山を経て四の丸跡、三の丸跡、二の丸跡、と降り、昔の武将はよくもまあ、こんなに山全体を“城”にしたもんだと感心しながら降った。
バスに乗りこみ門司めかりへ。関門トンネル前で下車し、エレベーターで地下55mほど降り、初めて“関門トンネル人道”を歩く。門司から下関まで780mの海底の道をおよそ15分ほどで歩いたが、通行記念のスタンプは門司側が半分(半円)、下関側が同じく半分で、両方押印して合わさると全丸のスタンプとなる。このトンネルは雨も降らず、風も吹かず、寒くも暑くもなく絶好のウォーキング・ジョギングコースだそうで、多くの人が往来していた。
下関側に出ると観光の名所らしく、みもすそ川、早鞆ノ瀬戸が美しく、岸壁広場には大砲が数門並んでいた。(初めてここに来たのでゆっくり見学したかったが時間が無く通過)赤間神宮(壇の浦源平の戦で亡くなった、安徳天皇が主祭神)に立ち寄り、正式参拝(昇殿参拝)をする。宮司の祓祠に続き、祝詞(のりと)には福岡まいづる山岳会、松九会登山クラブの一人一人の氏名を挙げ、本年一年の登山の安全と健康を祈願いただいた。次いで笛・太鼓の雅楽と巫女舞いの後、鈴祓いを全員が頭に受け、再び宮司より“安全登山の継続・健康・そして今年の寅は元気な寅、みなさんにとって活力ある一年を!”との結びの言葉に感服し、御神酒と御守り札を頂いて辞した。
仕上げは新年懇親会!昨年同様、南風泊(はえどまり)の“ふく料理、ひれ酒”で打ち上げた。(藤井哲夫 記)
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感動の山・小さな河頭山
いつの間にか“ふもと会”と言われるようになった私たち(井上、池田、武藤、柴田、中馬)5人は、花尾山までは行けるだろうと、皆と一緒に出発したものの、アスファルトの急坂でダウン。花尾山をあきらめて目標を河頭山に変更した。
一度バスの駐車場まで下り、花尾山とは反対方向にある河頭山に向かうと、取りつきは広く、浅く、緩やかな階段なので何とか登れそうだが、まずは“お花摘み(女性のトイレ)”の場所探しに右に左にと散らばっている内に、上から降りてきた1人のオジサンから「あっちにも、こっちにもいいコースが幾つもあるから楽しいですよ」と教えてもらった。まだお花摘みの場所が決まらない間に、下から若い青年がちょっと異様な荷物を背負い、手にも何やらぶら下げて登ってくる。近づくと、何と二つ折りにしたマットレスだった。まさか天気がいいので昼寝用でもあるまいと声をかけたら「今から岩登りの練習です」と言って藪道を分け入って見えなくなった。その岩登りの場所も見たかったが、先のオジサンから聞いた道を進むと、大きい岩が幾つも重なり合い、割れた岩に太陽が当たってピカピカ光っている。
そういえばこの山の岩は御影石(みかげいし)の一種(花崗閃緑岩・かこうせんりょくがんという火成岩)で、日光東照宮の建立にも切り出された自慢の石だ。やがて「忠孝」と彫られた岩には「頭山満翁の言葉」が記されていて、隣の大岩にも深々と大きな文字が彫られていたが、あまりにも大きく、高いので読めなかった。少し上がったところには不動様があり社(やしろ)の裏の岩には立派な石像が建てられていて、思わず手を合わせてしばし眺めていた。
木や岩をつかめば無理なく登れるのだが、なにしろこのグループは頂上を目的としない、途中を楽しむメンバーなので、少しの坂道でもため息が出る。誰かが、「もう空が見えてきたから頂上は近いヨ、頑張ろう!」と励まし、ついに213mの頂上に着いた。11時50分だった。山頂にも「済生院之像」が大岩の上に2人建っていた。帆柱組は今頃どのあたりだろうかと藤井さんに電話したら「今、帆柱山に着いて、これから昼食…」とのこと。私たちも持ち合わせの食料を出して、皆で分け合って昼食にする。
いろいろなものを見て。さわって、拝んで感動した小さな山旅だったが、降りる方はもっと大変!。木や岩につかまりながら登り口とは違った、階段のない道に出てバスと対面した。
そろそろ足腰に自信がなくなった人は“ふもと会”が待っていますから、どうぞ!!。(中馬一枝 記)
【写真撮影
:原田和夫】
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